2023/09/04 知財ニュース
下級審裁判例速報
東京地判令和5年4月12日令和3年(ワ)第8940号 特許権移転登録抹消登録請求事件
令和5年8月24日
森本 晃生
ポイント
取締役会設置会社所有特許の譲渡における取締役会決議の必要性
取締役の権限踰越
特許権譲受人の注意義務
事案の概要
AはZの代表取締役として、平成28年7月11 日、YZ間で有機廃棄物処理装置の販売業務委託契約を締結し、販売営業上の必要性から、平成29年11月30日にY(被告)の取締役に就任した。
Aは、Yの製品にない機能を有する「亜臨界水処理装置」の開発及び事業化のためにX(原告)を設立して、その取締役兼実質的経営者となり、遅くとも令和2年9月1日までには、Yに辞任届を提出してYの取締役を辞任した。
Xは、令和2年4月17日、発明名称「亜臨界水処理装置」にかかる特許出願を行い、同年7月20日に特許第6737561号(「本件特許」)にかかる特許権(「本件特許権」)の設定登録を受けた。
Yの取締役Eは、令和2年9月下旬から10月初旬にかけて、複数の第三者から、Aが被告製品とは異なる有機廃棄物処理装置を販売しようとしているとの情報を得て、Xの代表取締役であるCに対し、事実関係の確認をするとともに、抗議をした。
Cは、令和2年10月5日頃、Yの代表取締役であるDに電話をし、Xの代表取締役として、Aが原告に本件特許権を取得させてY製品の競合品を第三者に販売しようとしたことについて謝罪し、事態を収拾するため、本件特許権を譲渡したい旨申し入れた。
Dは、Cに対し、「取締役会決議等の社内決裁手続は取れているんでしょうね?」と尋ねたところ、Cは、「Aも了解しているし、社内手続も大丈夫だ。」と述べた。しかし、Xの取締役会において本件特許権譲渡の承認決議はされていなかった。
Yは、令和2年10月9日付譲渡証書(「本件譲渡証書」)を添付して、令和2年10月9日、本件特許権の移転登録手続をY単独で申請し、同日、本件特許権の移転登録を受けた。本件譲渡証書には、「弊社名義の下記特許につき、今般、特許権を貴社に譲渡したことに相違ありません。また、その移転登録申請を、今般、貴社が単独ですることに異議なくこれを承諾します。」と記載され、「X 代表者C´」の記名の横にXの代表取締役印の印影がある。同日時点でXは取締役会設置会社であった。
Cは、令和2年10月28日までXの代表取締役の地位にあったが、登記上は、Cが、同月9日付けで代表取締役を退任し、同日付けで取締役を解任された旨の記載がされている。本件譲渡証書上の「C´」の記名はCの正しい表記ではない。
Xにおいては、設立当初から上記の代表取締役印とは別の印が実印として登録され、使用されていたが、Cは、令和2年10月8日、当該実印を亡失したとして、法務局に印鑑・印鑑カード廃止届を提出し、同日、上記の代表取締役印を印鑑登録していた。
Xは、Yに本件特許権を譲渡した事実はないと主張して、本件特許権の移転登録手続きの抹消登録手続きを請求した。
なお、本件特許権がXの重要な財産(会社法362条4項1号)であることに争いはない。
争点
- Cによる本件特許権のYへの譲渡の意思表示の有無
- 譲渡の有効性(YがXの取締役会決議の缺欠を知りえたか)
判旨
1.
裁判所は、「押印時点でのYの実印を印鑑登録したC自身が、Yの代表者として、その意思に基づいて本件譲渡証書に押印したものと認められるから、民事訴訟法228条4項により、真正に成立したものと推定される」として、いわゆる二段の推定による本件譲渡証書の成立の真正に依拠しつつ、その点に関するC自身の陳述書の信用性も認めて、Cによる譲渡の意思表示自体は認定した。
本件譲渡証書上の「C´」の記名の誤りについては、裁判所は、作成者がCではなく弁理士であることと、Cが当時88歳で注意力が低下している可能性から、第三者による偽造とのXの主張を斥けた。
2.
「本件特許権が原告にとって重要な財産であることは被告も認めるところであり、・・・に照らせば、被告は、原告が本件特許権を実施することにより収益を得ようと企図していたことについても認識していたものと認められる。これらの事情に照らすと、被告において、原告が競合他社である被告に対し本件特許権を無償で譲渡することはないと考えるのが通常であるといえる。それにもかかわらず、・・・Dは、Cに対し、「取締役会決議等の社内決裁手続は取れているんでしょうね?」と尋ね、Cが「Aも了解しているし、社内手続も大丈夫だ。」と述べたことのみをもって、承認決議が存在すると考え、本件特許権の移転登録手続を経たというのである。
このような本件特許権の譲渡の経緯に照らすと、Dにおいて、本件特許権の移転登録手続を経る前に、Cに対し、原告の承認決議があったことを裏付ける取締役会議事録を提出させるか、又は、原告の実質的経営者であるAに対し、真実本件特許権を譲渡することに承諾しているのかどうかを確認しておけば、本件特許権の譲渡につき、原告の取締役会による承認決議がされていないことを認識できたというべきである。そして、本件特許権の移転登録手続を経ることが、被告にとって急を要するものであったとはうかがわれないこと、また、Aが被告の取締役であり、被告とAは既知の関係にあったこと・・・に照らすと、本件特許権の移転登録手続を経る前に、上記の確認をとることは容易であったといえる。
したがって、Dは、少なくとも本件特許権譲渡について原告の取締役会における承認決議がなかったことを知ることができたといえるから、本件においては、民法93条ただし書の規定を類推して、原告は(ママ)Cによる本件特許権の譲渡は無効と解するのが相当である。」
「被告は、本件特許権の譲渡は、Aが被告に対し、競業避止義務違反及び本件販売業務委託契約違反となる行為を行ったことから、それに対する謝罪の意味でされたものであるなどと主張して、被告が原告の当時の代表取締役であったCが述べたことを信じたのは正当である旨主張する。
しかし、・・・原告が被告に本件特許権を無償で譲渡することを承諾することは通常考え難い上、仮に、Aが被告に対して競業避止義務違反となる行為又は海外医療旅行株式会社の代表取締役として本件販売業務委託契約違反となる行為を行った事実があるとしても、本件特許権の特許権者は原告であり、原告がA又は海外医療旅行株式会社の上記義務違
反の責めを負う理由はないというべきである。したがって、そのような事実は、被告が承認決議の不存在を認識していなかったことを正当化し得るものではない。」
解説
- 二段の推定
私文書の形式的証拠力は二段の推定の成否をめぐる攻防により決する。
文書上の印影と印章が一致すると、文書名義人の真意に基づく押印であるとの事実上の推定が働き、これに、「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する」との民事訴訟法228条4項の法定証拠法則が加わることにより、当該文書の成立の真正、すなわち、当該文書の内容が文書名義人の意思に基づくことが推定される(伊藤眞「民事訴訟法」第7版391頁、434頁)。これが二段の推定である。
本件では、原告は、2段目の法定証拠法則を覆そうとしたが、改印登録がなされており、会員登録が会社法362条4項1号に委任禁止事項として挙げられていない以上、二段の推定を覆すことはできなかった。
- 取締役会決議を欠く重要な財産の処分の有効性
本件判決の前提として、会社法362条4項1号による取締役の権限の制約がある。
会社法会社法362条4項
「取締役会は、次に掲げる事項その他の重要な業務執行の決定を取締役に委任することができない。
一 重要な財産の処分及び譲受け」
会社法会社法362条4項違反の代表取締役による処分行為の効力については、以下の判例が存在する。
最三小判昭和40年9月22日民集19巻6号1656頁
「株式会社の一定の業務執行に関する内部的意思決定をする権限が取締役会に属する場合には、代表取締役は、取締役会の決議に従つて、株式会社を代表して右業務執行に関する法律行為をすることを要する。しかし、代表取締役は、株式会社の業務に関し一切の裁判上または裁判外の行為をする権限を有する点にかんがみれば、代表取締役が、取締役会の決議を経てすることを要する対外的な個々的取引行為を、右決議を経ないでした場合でも、右取引行為は、内部的意思決定を欠くに止まるから、原則として有効であつて、ただ、相手方が右決議を経ていないことを知りまたは知り得べかりしときに限つて、無効である、と解するのが相当である。」
上記判例は根拠条文を挙げていないが、民法93条(心裡留保)の類推適用と解されている(田中亘「会社法」第4版250頁)。学説の多くは、無効とするのは悪意・重過失に限定すべきとし(江頭憲治郎「株式会社法」第8版447頁など)、重要な財産の処分行為の相手方に調査義務の課された裁判例は相手方が金融機関の場合に限られるようであるとの観測もあったが(江頭447頁)、本事件では、同業他社への譲渡にも調査義務を課したことになる。本件では、譲受人である被告が、譲渡人代表者に口頭での確認をした旨主張立証したが、却って調査義務を強める事情として参酌されたように見える。
もっとも、本件は、無償譲渡であり、類型的にイレギュラーな取引であることは留意されるべきであり、また、時間的余裕や関係者との面識等の要素も考慮されているから、相当額の対価を伴う特許権の譲渡や質権設定にまで無条件に同様に関されるとは限らない。
さりながら、予防法務として、特許権の譲渡や質権設定の登録に当たっては、譲渡人/質権設定者が取締役会設置会社の場合、取締役会の議決と当該決議にかかる議事録の写しの交付を契約上義務付け、履行させることが肝要となる。
- 法人格否認法理主張の可能性
被告Yは、譲渡がZ又はAのYに対する損害賠償だったと主張したが、裁判所より、法人格が異なると一蹴されている。しかし、ZもXもAが実質的に支配する会社であったならば、法人格否認法理を更に主張することでこれを克服する可能性も一応考えられる。
もっとも、法人格否認の立証ハードルは極めて高いところ、AでなくCに抗議し、Cから受けるなど、法人格が形骸化しているのであれば取らないであろう行動をYの取締役B及びEが行っているため、法人格否認法理の主張はあきらめたのだろう。